魔法のコトバ
1番初めにどうしてもこの記事が書きたくて
ブログなんたるものを勢いではじめてしまった可能性も否めませんが
スピッツが2006年にリリースした
『 魔法のコトバ』
僕が愛してやまない曲のひとつ
好きな理由としましては
まずスピッツらしい、美しいメロディー
バンドサウンド
そして、歌詞
とにかく大好きなんです。
広末涼子さんも
とってもとってもとってもとってもとってもとっても大好きよって唄ってらっしゃいましたが
僕から言わせると
とっても………………大好きよ 位です。
はい、すみません。
自分で言ってても意味わかりません。
まぁとにかく大好きなんですよ。
何がどう好きか説明しますと
Theメロディーメイカー、90年代半ばにもしこの曲がリリースされていたら、確実にスマッシュ、ミリオンヒットしていたことでしょう。
その位美しい旋律です。
そしてなんと言ったって歌詞
今2021年、15年来この曲の魔法のコトバの意味を追いかける位歌詞に虜です。
いくつか紹介します
『 君と語り合ったくだらないアレコレ 抱きしめてどうにか生きてるけど』
誰かが聞いてもふーんって終わるような言葉でも、自分たちにとっては幾度となく使って、思い出がたくさんを詰まっているのでしょう。
どうにか生きてるの『どうにか』が、苦しくて辛い時でも、何か一つの言葉を胸に持ってそれを自分の支えにして
隣に居ないであろうその彼女との思い出を抱いて必死に今を生きてるということを示唆してて
だから
『 誰も知らない、バレても色褪せない』
のでしょう。
『 花は美しく 棘も美しく 根っこも美しいはずさ』
彼女の美しさを比喩した言葉だと、僕は捉えてて
花は彼女の外見
棘は彼女の欠点
根っこは彼女の見えない芯の部分内面の部分
彼にとって彼女は
見た目も美しくて
欠点さえも彼女のいい所だと
ただどんなにきれいな花であってもドロにまみれていて根っこはキレイとはなかなかいえません。
人の内面も同じこと
誰だって内面はドロドロでそれを隠していないとまともに生きていくことも出来ません。全て美しい人なんて絵空事でおとぎ話だと思います。
そうだと分かっていても好きな人だったら内面もきれいだって思いたいじゃないですか?
だからこそ『根っこも美しいはず』なんだと
『また会えるよ 約束しなくても 会えるよ 会えるよ 』
今は離れているけど運命の人だったらもう一度会って最後には一緒になれる。
そんなことを信じている、というよりそう信じるしかなくなっているのでしょう。
もう無理だとわかっていても、ほんの少しの可能性にかけたい信じたいって気持ちなんでしょう。
もうね、わかりみが深すぎて辛いです(笑)
まだまだ紹介したいのですが長くなり過ぎるので
タイトルの
『 魔法のコトバ』
言葉ではなくてコトバ
初めは『 好き』『 愛してる』
次に『2人だけの合言葉 』
なのかなと、思っていました。
『 口にすれば短く だけど効果はすごいものがあるって事で 』
やはり、その類の言葉なのかなと。
でも、言葉じゃなくてコトバ
何故カタカナ表記なのか
いま僕のたどり着いた考察は
口に出すものではなく
口に出せない大きな気持ちを伝える手段の1つとして
言葉ではなくコトバなのかなと。
本当に最高です。
墓場まで持って行きたい曲です。
歌詞
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